日常の出来事をてげてげ(適当?)に更新するかも・・・ちょっと弱気orz
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すいません。なんか忙しくなってブログ更新が追い付かなくなってました。
秋に入り活発に動くようになったからでしょうか(笑
さて、妹の闘病記ですが・・・
前回の頭に転移したガンの処置を皮切りに本格的に闘病に入って行きます。抗がん剤も何種類かあるので効果のあるものからと言うことで服用するようになりました。
副作用で髪の毛はどんどん抜けて行きます。いままで想像もしていない日常からですので相当のショックだったのでしょう。泣いている姿を何度か目にするようになりました。悲しいことに我々家族には頑張らなきゃだめだよと言うことしか言えないのです。辛い言葉ですよね「がんばれ」って。
本人はこの先どうなるのかを自覚していたのかいまではわかりません。本人はガンに侵されているというのは知っていました。治るということだけを信じていたのかもしれません。
私たち家族だけは持って2年と言う言葉を医者から聞かされていました。もちろん私たちは信じていませんでした。現実味がないんです。まわりにガンで亡くなった方と言うのはいますが自分の妹が・・・と言う認識がないのです。
左から2番目が妹です。これは2005年4月撮影です。
まさかこの2年後にはこの世に居ないなんて思ってもいません。
続く・・・
秋に入り活発に動くようになったからでしょうか(笑
さて、妹の闘病記ですが・・・
前回の頭に転移したガンの処置を皮切りに本格的に闘病に入って行きます。抗がん剤も何種類かあるので効果のあるものからと言うことで服用するようになりました。
副作用で髪の毛はどんどん抜けて行きます。いままで想像もしていない日常からですので相当のショックだったのでしょう。泣いている姿を何度か目にするようになりました。悲しいことに我々家族には頑張らなきゃだめだよと言うことしか言えないのです。辛い言葉ですよね「がんばれ」って。
本人はこの先どうなるのかを自覚していたのかいまではわかりません。本人はガンに侵されているというのは知っていました。治るということだけを信じていたのかもしれません。
私たち家族だけは持って2年と言う言葉を医者から聞かされていました。もちろん私たちは信じていませんでした。現実味がないんです。まわりにガンで亡くなった方と言うのはいますが自分の妹が・・・と言う認識がないのです。
左から2番目が妹です。これは2005年4月撮影です。
まさかこの2年後にはこの世に居ないなんて思ってもいません。
続く・・・
昨年の8月に妹が肺がんで亡くなり早いもので1年経ちました。
いまだにこの世に居ないというのが不思議な感じがすることがあります。すこしずつ慣れていくものでしょうか?
お通夜の時にあまりにも弔問客が多かったため対応をお願いするためについいるわけの無い妹の姿を探してしまったことが昨日のことのようです。
妹の闘病記を少し書き記しておきたいと思います。
とにかく弱虫の妹でした。ちょっと体調が悪いと「私はガンなんじゃないかしらなどと冗談交じりに話すこともありました。」でも、結婚して子供ができてからはあまりそういった話も聞かなくなっていました。
2005年の秋のことでした。
夏ごろから咳がでていて近くの医者に診てもらったら夏風邪だろうと診断されていたのですが。。別の病院で診察してもらったら「肺がん」との診察。しかもすでに転移も始まり脳にまで転移しているとのこと。
もちろん妹は大ショックで泣いていました。
我々家族には慰めるほかはない状況。
鹿児島市内の病院で闘病することになりました。本当は他県での治療も検討したのですが弱虫の妹が他県で一人っきりで闘病できるはずもなく・・・・
まずは脳に転移している細胞を何とかしなくてはいけないということになり病院に紹介された脳外科に行くことになりました。
てっきり頭を開いて細胞を取り除くのだと思っていましたが「ガンマナイフ」という機材を用いてピンポイントでがん細胞を焼く(除去するのではなくこれ以上大きくならないような処置)ということでした。
切らないで処置できるというのはいいなぁと思っていましたらピンポイントで処理するために頭に金属のボウルのようなものを直接ボルトで頭蓋骨に固定したそうです。かなり痛かったらしくこれにもまた泣いておりました。
実際の手術は全く痛くもなかったと話しておりました。
退院したのは2~3日してからだったでしょうか?
私の住んでいる実家(母がいるので)に帰ってきました。ほっと安心したのもつかの間、すぐに救急車で運ばれてしまいました。
母に話を聞いたところどうやらソファーに座ってしばらくしたら痙攣をおこし白目をむいたらしいです。医者の話によるとほとんど見ない副作用のようなものらしいです。大事には至らなくしばらく病院で様子を見て退院してきました。
続く
いまだにこの世に居ないというのが不思議な感じがすることがあります。すこしずつ慣れていくものでしょうか?
お通夜の時にあまりにも弔問客が多かったため対応をお願いするためについいるわけの無い妹の姿を探してしまったことが昨日のことのようです。
妹の闘病記を少し書き記しておきたいと思います。
とにかく弱虫の妹でした。ちょっと体調が悪いと「私はガンなんじゃないかしらなどと冗談交じりに話すこともありました。」でも、結婚して子供ができてからはあまりそういった話も聞かなくなっていました。
2005年の秋のことでした。
夏ごろから咳がでていて近くの医者に診てもらったら夏風邪だろうと診断されていたのですが。。別の病院で診察してもらったら「肺がん」との診察。しかもすでに転移も始まり脳にまで転移しているとのこと。
もちろん妹は大ショックで泣いていました。
我々家族には慰めるほかはない状況。
鹿児島市内の病院で闘病することになりました。本当は他県での治療も検討したのですが弱虫の妹が他県で一人っきりで闘病できるはずもなく・・・・
まずは脳に転移している細胞を何とかしなくてはいけないということになり病院に紹介された脳外科に行くことになりました。
てっきり頭を開いて細胞を取り除くのだと思っていましたが「ガンマナイフ」という機材を用いてピンポイントでがん細胞を焼く(除去するのではなくこれ以上大きくならないような処置)ということでした。
切らないで処置できるというのはいいなぁと思っていましたらピンポイントで処理するために頭に金属のボウルのようなものを直接ボルトで頭蓋骨に固定したそうです。かなり痛かったらしくこれにもまた泣いておりました。
実際の手術は全く痛くもなかったと話しておりました。
退院したのは2~3日してからだったでしょうか?
私の住んでいる実家(母がいるので)に帰ってきました。ほっと安心したのもつかの間、すぐに救急車で運ばれてしまいました。
母に話を聞いたところどうやらソファーに座ってしばらくしたら痙攣をおこし白目をむいたらしいです。医者の話によるとほとんど見ない副作用のようなものらしいです。大事には至らなくしばらく病院で様子を見て退院してきました。
続く
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